『気付き』『感じる力』

私には師匠とし師事し続けている人がいます。勿論アスレティックトレーナーとしての恩師でもあります。なんで恩師ではなく師匠なのか?おそらくアスレティックトレーナーとしての学識のみを学び受けたのであれば師匠とは呼んでいないと思います。言葉で言い表せない程多くの事を学び、経験させて頂き、何よりも感じさせてもらっています。22歳の時に私が専門学校に入学した時に出会い早いもので7年です。私が20歳の時に夢を持ち、目標をたて、今日に至り頑張る事が出来ているのは師匠のおかげであると日々感謝をしています。
私は師匠から、多くのアドバイスを受けてきましたが、決しての価値観を押し付けられたり、直接的な答えを教授するような事は少なかったように感じます。師匠は良く『気付き』などと言いますが、相手に気付かせるようなきっかけを良く与えてくれたように記憶しています。これは逆に言えば受け手は常に感じ取れる状態で、受け手が圏外では意味がありません、時として師匠の意図する『気付き』に対し『感じる』事ができていない場合は厳しく注意された事もありました。今になって振り返ってみると、感じる事ができず圏外になっている時、多くの場合は視野が狭くなり、見解に余裕がない時だったのではと思います。
そんな関係のなかで身についたのが『常に気を配り』『常に考え』『自分で判断し』『自分で決断し』『責任をもつ』事なのかも知れません
私は師匠に対し、アスレティックトレーナーとしての憧れは勿論ですが、何よりも人間としての魅力を感じます。多くの事を受け入れる広さを持ちつつ、決して他に流されているわけではなく、ぶれる事のない芯の強さを、何よりも物事への見解、視野の広さを感じます。

私の師匠は『すぐには変わらないし、すぐには成長はしない』と言います。当たり前な事ですが、日々の生活においてどうでしょう?また仲間にたいして『気付き』をもたらしているだろうか?また仲間からの『気付き』を感じとっているだろうか?目先の結果を求めたり、見掛け倒しの変化を求めたり、そんな事が多い気がします。もっともっと日々仲間や場に環境に感謝し、見解に余裕を持ち、『気付き』『感じる』という事を行っていきたいと思います。