教育・育成  MCATへ・・・

『教育』『育成』という二つの言葉を広辞苑で調べると、教育は『教え育てること。人を教えて知能をつけること。人間に他から意図をもって働きかけ、望ましい姿に変化させ、価値を実現する活動』 育成は『やしないそだてること。立派に育て上げること。』となっています。スタッフ教育、人材育成、本当に難しいですが、ここにかける情熱がもしかしたら組織の力の根源であるのではと、若輩の分際で生意気な意見かとは思いますが、未熟が故の多事多難の日々で感じています。
我々にとって教育、育成とは、専門職である以上Knowledge(知識・学識)をbaseに教育をし育成していく事だと捉えています。言意にあるように教育とは、教え育て、知能をつける事は勿論ですが、意図をもち価値のある望ましい人材になるべく働きかける事が最も大切と考えています。
何かを伝える以上は、伝える側は意図をもち伝え、受け手が意図を理解し変化し、自分なりの価値を見出して意味があるのではないでしょうか?
伝える方法は様々ですが、伝える側は自身の見解にphilosophy(哲学)をもち、伝えたことに責任をもつ、ただ『教えた』『言った』では伝えた事にはなりません、
私は自分自身が未熟であるからこそですが、自身の意図した、望んだ事が伝わらない、もしくは他から見た時に成長がみられないような意見が聞かれた場合、これは私自身の成長が至らないかった事でもあると捉えています。
見方を変えれば仲間というのは自分自身の鏡ではないかと思っています。自分自身が浮き足立って何かを伝えれば、不思議な者で自信をもっては貰えないもので、自分が意気阻喪の時には、意欲すら奪ってしまう気がします。
先輩であれ後輩であれ仲間である以上は、教育、育成を通じ目に見えない何かが働き組織のvektor(ベクトル)の向きが決る、決ってしまう気がします。
MCATには櫻井順、鈴木章史というスポーツの第一線で活躍するトレーナーがいます。私自身含め一歩でも彼らに近づけるように、若い集団だからこそ、何よりも互いに刺激しあうという情熱、意欲だけは失わずに、仲間に何かを伝え、仲間から多くの刺激を受け取るという何気ない作業の中で成長していけたらと思っています。